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肺がん薬物療法の発展と
がんゲノム医療の将来への期待

自治医科大学 内科学講座 呼吸器内科学部門 教授
萩原 弘一先生

 患者数が多いことで知られる肺がんですが、治療法が大きく進歩し、予後が改善しています。近年では、治療につながる遺伝子変異の有無を調べる診断法が普及し、その結果に基づいて薬物療法が選択されるようになりました。さらに、多数のがん関連遺伝子変異を一度に調べられる検査も可能になり、有効な薬剤を効率的に選択できる「がんゲノム医療」への期待が高まっています。
 がんと遺伝子の関係、そして、がんに関連する遺伝子をターゲットにした治療の進歩について、肺がんのゲノム医療に注力されている萩原先生にお話を伺います。

【取材】2021年8月19日(木) 小山グランドホテル
萩原 弘一 先生
第2回がんゲノム医療のメリット、デメリット
公開:2022年8月29日
更新:2022年11月

 第1回では、がんは遺伝子の変異による病気であり、特定の遺伝子の変異が見つかれば効果的な治療法が選択できる可能性があること、そして、遺伝子パネル検査を用いて遺伝子変異を網羅的に調べ、それぞれの遺伝子変異に合わせて治療する「がんゲノム医療」の発展が期待されていることがわかりました。第2回では、がんゲノム医療についてさらに詳しく伺います。

がんゲノム医療の目的

萩原 弘一 先生

がん遺伝子パネル検査とは?

 第1回でお話ししたように、多数の遺伝子を同時に調べる「がん遺伝子パネル検査」を行い、遺伝子変異を網羅的に調べ、検出された遺伝子変異に最適な薬剤を使って治療するのが「がんゲノム医療」です。がん遺伝子パネル検査では、がん組織を採取して複数の遺伝子を同時に調べます。遺伝子変異が見つかった場合、それに対して有効な薬剤が保険で使用できるか、使用できない場合は有効な可能性のある薬剤を用いた臨床試験があるかを調べます。「がん遺伝子パネル検査」は、2019年より、標準治療が終了した(あるいは終了見込み)固形がん患者さんを対象に保険適用になりました。

 がんゲノム医療を行うことで、どんなメリットがあるのでしょうか。第1回では、がんゲノム医療には現在の患者さんの利益になる「現世利益」と、次世代の治療に繋がる「来世利益」の2つの側面があることを教えていただきました。

がんゲノム医療の現世利益とは?

 1つめは、コンパニオン診断薬と同じです。がん遺伝子パネル検査によって治療薬に結びつく遺伝子変異が見つかれば、それに対応した薬剤を投与することができます。例えば、肺がんではEGFR遺伝子の変異が半数近い患者さんに見つかります。その遺伝子が見つかった場合、EGFR阻害薬という分子標的薬を使えます。
 2つめは、見つかった遺伝子変異をターゲットとした治療が臨床試験として実施中あるいは計画されていることがあるので、その臨床試験に参加できる可能性があります。
 3つめは利益かどうか即断しにくいのですが、家族性悪性腫瘍の原因が見つかる可能性があります。よく知られているものに、HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)があります。BRCA1、2に生まれつき遺伝子変異がある人は高い頻度で乳がん、卵巣がんになります。そのため、2020年、これらの遺伝子に変異がある人には予防的乳房・卵巣切除が保険適用になりました。しかし、これらの遺伝子に変異がある人が全員乳がん、卵巣がんになるわけではありません。患者さんご自身あるいはご家族にとって、家族性悪性腫瘍の原因が見つかり、その遺伝子が次の世代に遺伝する可能性があると知ることが良いことなのか悪いことなのか、一概に判断できません。
 これまでの研究によると、がん遺伝子パネル検査を受けた患者さんのうち治療に結びついたのは10%程度で1)、現時点では適切な治療薬に結びつかない割合のほうが高いとされています。がんゲノム医療の難しい面です。

1) Sunami K et al. Cancer Sci 2019; 11: 1480-1490.

それでは、がんゲノム医療の来世利益とは何でしょうか?

 がん遺伝子パネル検査で見つかった遺伝子の情報は、今後の医療に役立てることができます。多くの患者さんのデータを収集し、AIによる効果予測ができるのではないかという可能性です。膨大な量のデータが必要になりますが、収集したゲノムデータを「創薬(新しい薬剤の種を創ること)」に活用できます。創薬は最も実現性が高いがんゲノム医療の利用方法と考えられ、次世代の人たちにより良い治療を提供できる可能性がある来世利益と言えます。
 がんゲノム医療には患者さんご自身の治療選択肢を探していけるというメリットだけでなく、自分たちの子どもや孫の世代に向けてより適した薬剤をプレゼントする、次世代の医療への投資という目的があります。

がんゲノム医療の現世利益と来世利益

現世利益
  1. 1.ドライバー遺伝子を見つけ、対応する分子標的薬を投与する。例えば、肺がん患者さんにEGFR変異が見つかれば、EGFR阻害薬が保険診療で投与できる。
  2. 2.見つかった遺伝子変異に対する臨床試験が実施あるいは計画されていれば、参加できる可能性がある。
  3. 3.たまたま家族性悪性腫瘍の原因遺伝子が見つかる可能性がある。例えば、家族性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)の原因遺伝子が見つかるかもしれない。
来世利益
  1. 1.多くの患者さんから収集したゲノムデータを活用し、AIで効果予測ができないか。
  2. 2.収集したゲノムデータを活用すれば、創薬につながる可能性がある。

萩原弘一先生ご提供

がんゲノム医療と創薬

がんゲノム医療はどのように創薬につながるのでしょうか?

 同じ種類のがん患者さんの何人もの遺伝子配列を調べると、ある特定の遺伝子が変異しているということがわかってきます。そのデータを蓄積していくと、「肺がんではどの遺伝子変異が多いか」が分かってきます。がん患者さんで共通に変異している遺伝子は、おそらくがんの発生に何らかの役割をしているのでしょう。ターゲット遺伝子が分かれば、遺伝子変異の結果作られた異常なタンパクにだけ結合する化合物を、何十万もある化合物のライブラリー(化合物のデータがストックされているところ)から探し出せます。これががんゲノム医療による創薬の基本的な考え方です。
 がんゲノム医療は、適切な治療選択に用いられるだけでなく、創薬を目的の一つとしています。創薬研究により新しい薬剤の候補が生み出されてくれば、より適した薬剤選択が可能となります。

 がんゲノム医療とは、現在治療中の患者さんにとっても画期的な選択肢ですが、そのデータが蓄積されることで次世代の創薬へとつながる医療とも言えるのですね。

 第3回では、肺がんにおけるゲノム医療の今後の展望と、萩原先生が中心となって研究されている肺がん分野のゲノム検索システムについてお話を伺います。

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